2020年より3ヶ月ごとに神奈川県茅ケ崎市にある老舗書店・長谷川書店で開いている
読書会(書評哲学カフェ)。
第5回目は2021年4月17日に開催しました。
今回も❛月子❜がファシリテーター(進行役)を務めました。
課題本にはいとうせいこう『想像ラジオ』(河出書房新社)、
当日紹介した参考図書は柳田国男『先祖の話』(角川書店)でした。
今回のテーマ「10年後。」というのは、東日本大震災から10年後という意味。
参加者から「受賞作品やベストセラーを取り上げて欲しい」というリクエストをいただいていたので、複数の賞を受賞し、芥川賞候補にもなった異色の震災文学『想像ラジオ』を取り上げました。 本の具体的な内容については、おもに2章の議論を受けて「被災者に対してできること/ボランティアとはいかにあるべきか」、最終章5章では「DJアークはなぜ最後に奥さんの声を聴くことができたのか、Sさんのリクエストを受け取ることができたのか」について話し合いました。
また全体を通して、少し抽象度なテーマ—死者と生者、聞こえる/聴こえるとは、存在するとは、など—についても対話しました。
今回この読書会(書評哲学カフェ)は5回目を迎えましたが、リピーターの方も少しずつ増えてきたこともあって、問いの抽象度をやや上げ、こちらからも繰り返し質問を返して対話の密度を高めようと努めました。その結果、少し難しく感じられた方もいたようですが、脳みそにギューッと圧がかかる気持ちよさを感じてくれたら嬉しく思います。
このようなテーマは大哲学者にとっても難しく、およそ2600年前の古代ギリシアの時代からまったくもって決着のつかない話ですから、わけがわからなくなること自体、全然問題ではないのです。
参加者のなかには震災後間もなく被災地に入られた方、阪神淡路大震災の被災者で東日本大震災の時はボランティアに携わった方が偶然いらして、普段聞くことのできない貴重な体験を語っていただき、大変有意義な時間を過ごすことができました。
本のなかのフィクションと生の声、実践的な知と抽象的な思考。
そのどちらにも触れることができて、より本の内容やテーマへの理解が深まったのではないでしょうか。 参考図書である柳田国男『先祖の話』は『想像ラジオ』読了後に読むと、そこからいとうせいこう氏がインスピレーションを得たのではないかと思われるほど、見事に重なる部分がありました。
例えば死者というのは完全にあの世に行ってしまうのではなく、高い山など私たちの近くのどこかにいて、そこと日常との間を行ったり来たりしている存在である、と昔の人には信じられていたということ、
また、いくら仏教が盛んであったとはいえ、先祖のなかには無念な思いで逝った者もあろう、その無念さをただ「妄執」の名のもとに一括して処理することは昔の人には「出来ない相談であった」と述べている箇所です。
次回は7月17日(土)13:30~を予定しています。
このサイトには告知を載せていないので、ご興味のある方は直接ご連絡くださいね。
text/Tsukiko
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